カテゴリ:謎解き古代史( 13 )

ヒメタタライスズヒメ 2

ヒメタタライスズヒメも神と聖婚する丹塗り矢型の感精神話ですが、矢が女陰に突き刺すという日光感精神話と類似する神話だと思います。文字通り読んだら、突き刺したら死んでしまうのは当たり前ですが、もうすこし、いろいろな意味が込められていると解釈した方が妥当とおもいます。  


箸が流れてくるという、同様の神話がスサノオの神話にもあると思いますが、「はし」とは「波斯」と書いて、ペルシャを現すそうで、これもまた〝王統〟を伝えているように思います。王の御子を生む女性とも解せるかもしれません。

また、太陽を感精する巫女ですから、太陽の巫女ともとれるでしょうか。。。


ヒメタタライスズヒメは、ヒメにちなんで百合の花が捧げられると聞いたことがありましたが、率川神社(いさがわじんじゃ)で、三枝祭(ゆりまつり)というのが行われるそうです。

そういえば、ユリは、「百合」と書いて〝百〟合わすと書くんですね~。
へぇ~、、、。

なんとなく優美ですね。。。。
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by ultra3040 | 2005-08-20 09:17 | 謎解き古代史

ヒメタタライスズヒメ

なんかわたしの見た夢(ツユクサのときの夢)ですが、ヒメタタライスズ姫と言っていましたが、「イスズ」ももしかして、イシスか?というような気がしてきました。(絵がエジプトようで、頭の上にツボのように開いたものが何段かあった・・・夢なのでヘン?「鉢かつぎ姫」の方が正しいかも・・・^^;
 ↑頭の上が開いているのでこれもアセンションのことっぽい??

イシスの花


イシス、イナンナ、イシュタルはすべて共通すると言われていますが、また、イースター(島)とはイナンナ「光と春の女神」のことだそうです。


「タタラ」は、タラス河畔の戦いのタラスや、タリム盆地のタリムあたりが語源のようだと夢の中で思っていて・・・。

伝説の洪水の地帯が、タリム盆地にもとめられており、大雑把に言ったらシュメールと繋がっているということですが、今のシュメールと呼ばれているメソポタミア一帯に、万世一系のルーツたちが移住していったということだそうです。その一部が伝説の洪水を逃れ東方を目指し、日本にも来ていたと言う話です。

そのタリム盆地というか、中国西域地方がルーツであり、カイラース山(チベット?)がスメル山(須弥山)として崇められ、大洪水のため、各地に離散していったその末裔にとって〝タリム盆地は永遠の聖地〟であったそうです。
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by ultra3040 | 2005-08-20 08:01 | 謎解き古代史

明日香

明日香の石造物探索

飛鳥とペルシア - 飛鳥の石造物 - から

 石造物を造った覩貨邏人は、耽羅(トムラ又はタムラ)と称して、継体紀に一度名前の出てくる済州島と考えられています。この島に多いトルハルバン(石爺)と呼ばれている石偶は、石人男女像のルーツと考えられ、その理由としては、トルハルバンの形状が、飛鳥の石人男女像の男の鼻とそっくりなのことが挙げられています。その他、額に刻まれた深い皺の形、それに頭に冠る折り返しつきの帽子、妙に変なところがよく似ています。以上のことから、飛鳥の石人男女像は覩貨邏人、即ち済州島の石工が造ったものと断定しても間違いないでしょう。

 そして、この二つの世界の境に猿石や亀石を設置し、現世の地域と来世の地域を画する結界の場所を示すために、黄泉の国との境を示すものとしてつくられたと考えらています。
 境界の標識として亀、蛇、蛙、男女神像などを立てる習俗は、ギリシア、ペルシア、インドなどにも見られるもので、フレーザーの『金枝篇』によると、各地の古代民族にも在ったことが伺ことから、飛鳥の石造物にも、そのような意味があるのかもしれません。
これは賽の神

 松本清張氏も、小説『火の路』でペルシア説、古代イラン(ペルシァ)のゾロアスター教と関連があるとの「仮説」
 ・アケメネス朝(前700~前300)のペルセポリスの柱頭飾りにライオンやワシが背中合せになっている彫刻はよく知られているが、柱頭飾りの機能をなくせば直接背中合せとなり、この形の人物像が飛鳥の道祖神像であり、二面石である。
これって両面宿儺のルーツ!?


                    
                       飛騨千光寺
                        両面宿儺



明日香の石の遺跡で、斉明の「狂心の渠(たぶれこころのみぞ)」の「狂心」はペルシャ語の音訳で「カハス」と読むそうで、ペルシャの「カナート」=水路のことだそうです。
  http://ultra3040.exblog.jp/2681641/

『書記』に「乾豆波斯達阿」というトカラ人が登場するが、トカラとはアフガニスタン北部から旧ソ連にまたがる中央アジア地域のこと。乾豆=クンドゥス、波斯=ペルシャ、達阿=ダーライの音訳で、この客はササン朝ペルシャの王族としている。
 古代天皇家と日本正史―現人神と万世一系の超秘密 より



なんとなくルーツが見えてきた・・・!?




去年は鍵の年でしたが、今年は鳥の年。

飛ぶ鳥、火の鳥、飛鳥です。ナンダソリャァ・・・
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by ultra3040 | 2005-08-16 16:36 | 謎解き古代史

宝塚鹿塩 

六甲へ行くのに、宝塚から高速を下りました。
途中少し道に迷ったんですが、「鹿塩」という地名を見て、
「どいうこっちゃ?」と驚き思わず電柱の標識を撮る^^


伝説があったのでこちらに貼り付けておきます。
(宝塚鹿塩 熊野神社)

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by ultra3040 | 2005-05-23 22:05 | 謎解き古代史

花咲く黄金 

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金華山に五月になると、円椎つぶらじいという木の花が咲いてこのように黄金色に見えることから、金華山と命名されているというような話があります。今日、岐阜に行って初めてこのような光景を見ました。スゴイ。私の写真ではわかりにくいですが、黄色が斑に金華山を覆っていました。 西日があたると、本当に黄金色になると聞いた覚えがあります。


川はもちろん長良川。

金華山の由来


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by ultra3040 | 2005-05-11 19:20 | 謎解き古代史

新羅考

『三国遺事』には、
「新羅・阿達羅(あだるら)王の四年(157)に東海の浜辺で藻を採っていた延烏郎(よんおらん)という男がいた。ところが延烏郎が乗っていた岩が急に動きだして彼を日本に運んで行ってしまった。それを見ていた日本の国人が、この人は普通の人ではないとして国王にした。延烏郎の妻の細烏女(せおにょ)は……岩は細烏女も日本に運んだので、国王となった延烏郎は妻を貴妃にした。二人が日本に行ってしまうと新羅では太陽と月の光が消えてしまった。……」
という説話になっている。


天孫降臨と太陽信仰が日本にもたらされたことを示している。
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by ultra3040 | 2005-05-08 21:28 | 謎解き古代史

アナヒーター

「観音」は仏教の神としてなんの抵抗もなく受け入れられているが、実は「観音」とは「光輝き放つ物」という意味の古代ペルシャ語の音訳である。光輝きを放つのは古代ペルシャのアナヒーター女神の特徴で、観音はこの女神との共通点が多く、その姿はいかにも拝火教(ゾロアスター教)の神らしい。
 
 その起源は古代のペルシャのミトラ信仰にある。ミトラとは、太陽神、光と真理の神であるが、ゾロアスター教においては最高神と人間の仲裁者でもある。そして西アジアにおいて仏教と融合した形で、中央アジア系の民族によって、日本列島にもたらされていたのである。


 東大寺の二月堂で行われる「お水取り」は、火のたいまつを振り回す拝火教の行事そのものである。そして祭神の「遠敷明神おにゅうみょうじん」とは、実はアナヒーター女神の音訳で、「北方から正月の水が2本、地下を流れる」という設定は、ペルシャのカナート(地下水路)を表現している。つまり「お水取り」はアナヒーター女神に水を供える行事なのである。

   天皇家と日本の正史―現人神と万世一系の超秘密 より
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by ultra3040 | 2005-05-08 14:49 | 謎解き古代史

伊吹《ネウ》

 私はこの地域をとくに伊吹《ねう》地帯とよぶ。丹生は全国に拡がる地名で赤い顔料となる土、すなわち朱(硫化水銀)や丹(四塩化鉛)の産地を指す古語とされているが、赤鉄鋼、褐鉄鉱、酸化鉄、鉄丹といわれており、その産地名も丹生であった。(中略)丹生は仮名書きでは「にゅう」「ねふ」「ねう」が共通し、その訛りは「ねお」となる。中国山地の有名な和鉄の名産地伯耆(鳥取県)の製鉄中心地は根雨という町であった。この町名は「ねう」の宛て字であるが、大正になってもこの地方の老人は「ねお」と発音していた。その四隅を「ねう」という名をもつ土地に囲まれた伊吹《ねう》地帯の存在を偶然といい捨ててよいであろうか。しかもこの区画のなかには、鉄の神体山伊吹山、金糞山、金糞を最近まで出土していた南宮山が聳え、その外延上の北に土倉鉱山、赤谷、高倉峠、金草岳が連なっている。(中略)先般、根尾村の西に隣する徳山村の中央部、金糞岳、土蔵岳と根尾と結ぶ線上に、入谷(にゅうだに)、門入(かどにゅう)、戸入(とにゅう)という地名が集中していることを知らされた。地名で「入」と書いて「にゅう」と読むのは珍しく、(中略)ここでは古くから辰砂が採取されていて、その遺跡は弘法穴とよばれていて古い村人の記憶にある。根雨も根尾も「入」も、みな丹生なのである。和歌山県紀ノ川流域は海人族が開拓して砂鉄精錬をおこなっていたといわれているが、その上流にある丹生川の岸辺には鉄鉱石を混えた辰砂が露出している(「和鉄の文化」)。

 伊塚氏は、この「伊吹《ねう》地帯」で和鉄革新を行った氏族を伊吹山西麓地のその根拠地を有した息長氏一族とされ、その配下には伊勢湾-琵琶湖-敦賀湾-日本海を結ぶ海人族がいたとされる。
四、五世紀の日本本土中央部において、太平洋と日本海を琵琶湖によって結合する本州縦断の水・陸ルートと、さらにこれに直結した朝鮮半島への「中ツ海道」国際幹線路との関門は、すべて名門貴族息長氏の勢力圏内にあった。(前掲書)

 朝鮮半島の激動の余波は、この道を通してもくりかえし日本列島に押し寄せていたにちがいない。
 蚩尤や一つ目に代表される鉄の神々の伝承や、各地に残された鉄の地名はの数々は、中国大陸、朝鮮半島、そして日本列島各地を移動した金属産出の民の残した足跡であったにちがいない。そして、各地を転々とした彼らこそ、古代における始源の開拓者であったといえるだろう。

『濃尾古代史の謎水と犬と鉄』 尾関章著 より抜粋
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by ultra3040 | 2005-02-04 17:06 | 謎解き古代史

太陽族 ラ族

 朝鮮半島には、その中央を縦に走る太白山脈があり、その東側には太陽族、即ち太陽神を信じていた太陽信仰族がいて、その西側には熊をトーテムとする信仰を持った部族がいた。特に東側の太陽信仰族は地名に太陽神(=「ラ」)という言葉をよく使ったので、この地域には羅津、羅南、新羅、伽羅等の地名が多く、日本の奈良(ナラ)という地名もこれに属する。これらは全て太陽信仰属の残した地名である。『古事記』、『日本書紀』等に残された神様の名前や現在の日本人の名前にもよく使われる「ヒコ」(彦)のもとの形は「日子」であり、「ヒメ」(姫)のもとの形は「日女」である。その意味は「日の子供」「日の女」であるが、これも太陽信仰族の残した言葉であり、日本の弥生時代前期の信仰トーテムが実は太陽であったのだ。
 ところが、その後、百済を中心として、熊を信仰のトーテムとする渡来人達が半島から押し寄せてきて、太陽信仰族である第一期大和王朝を滅ぼしてしまった。(「ヤマト言葉の語源が語る日本民族の起源」『古代朝鮮と日本』泰流社)

 朴炳植氏によれば、新羅を中心とする第一期ヤマト王朝とは神武から仲哀にいたる王朝であり、百済を中心とする第二期ヤマト王朝こそが、応神王朝だったのである。
紀元三六二年、太陽王朝最後の天皇である仲哀が「クマソ」征伐の途中、謎の死を遂げることによって、第二期ヤマト王朝が「クマソ」の手によって始まることになる。その証拠に、『記・紀」から、神功皇后以降、「クマソ」の名が消えてなくなっている。そして、その代わりに登場するのが「エミシ」なのである。(同右)

 ここで、日本各地に祀られた兵主神(蚩尤)が天之日矛につながる新羅系渡来人が奉ずる神であったと仮定するなら、両面宿儺(私説よれば蚩尤)の討伐者を武振熊(百済系の軍人)としなければならなかった理由は自ずと明らかとなる。古代において、百済と新羅という図式は、同時に畿内王権の一貫する対立抗争の図式でもあった。それが最も顕著に露呈したのは、天智から天武にいたる時代であったと私は思う。その時代の強烈な印象が、まだ生々しく生きていた時代に『記・紀』の基礎資料が編集されはじめていたのである。

『濃尾古代史の謎水と犬と鉄』 尾関章著より 抜粋
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by ultra3040 | 2005-02-04 16:10 | 謎解き古代史

出雲の最高神であった熊野大神

鳥越憲三郎氏の『出雲神話の成立』によると、

         ★出雲族の最高神は、熊野大神であったと述べている

(※熊野神社のある熊野山は標高六一〇メートル、別名天狗山と称せられている)

 大和朝廷が、古事記や日本書紀という国家の歴史を作るために、国ゆずりという壮大なドラマを挿入して、天皇の権威を高め、同時に征服の妥当性を主張するためには出雲が小さな地方神では困るのである。そこで、出雲の民話伝承を記紀の中に多くとり入れ、同時に、出雲神を手厚く扱う必要が生じてきた。と同時に古事記や日本書紀が出雲における熊野大神を無視はじめた。大和朝廷の意向を反映して、出雲の国造たちは、出雲が最高神熊野大神から次第に出雲の祖神大国主命に乗りかえてゆく。果たして、熊野の大神はゆき場所を失った。


※出雲の国造が大国主命をまつって出雲大社をたてたのは、古くみても大化の改新、壬申の乱以後ではないだろうか。鳥越憲三郎は八世紀の初めだとしている。

※出雲は古代から、砂鉄の生産で知られ、たたらで知られている。
その出雲の最高神、熊野大神が火鑚り式でわかるように火の神または、火をつかさどる神であるならば、たたらと深い関係があるはずである。


出雲と熊野の火鑚りの神事

神倉神社のお灯祭りは四九日の聖さまの断食からはじまっているのであるが、その神事の中心は火を鑚ることにある。松明をつけた上り子がかけ下りるお灯祭りクライマックスは、聖火を家に持ち帰るための行事にしかすぎない。島根八束郡八雲村の熊野大社は、昔は、出雲大社とならび称せられる大社であったといわれている。ここの神事は火切臼と火切杵(キネ)をもって、火を鑚り神に供える。古くは、平安時代の初期まで、この熊野神社から授けられた火切臼と火切杵で火をおこし、神に供えるのが出雲国造の相続の儀式であった。このことを、火継(ヒツギ)の式と称した。出雲国造は、熊野神社(出雲)より賜わった発火器でおこした火で一生食し、相続の火継の式も熊野神社でおこなうのを、古例としたのである。

以上 『熊野の謎と伝説 日本のマジカル・ゾーンを歩く』
沢村経夫/著 より抜粋

 

       ★熊野は黄泉の国であり、木の国であり、海の国である。
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by ultra3040 | 2005-02-01 13:49 | 謎解き古代史