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伊吹《ネウ》

 私はこの地域をとくに伊吹《ねう》地帯とよぶ。丹生は全国に拡がる地名で赤い顔料となる土、すなわち朱(硫化水銀)や丹(四塩化鉛)の産地を指す古語とされているが、赤鉄鋼、褐鉄鉱、酸化鉄、鉄丹といわれており、その産地名も丹生であった。(中略)丹生は仮名書きでは「にゅう」「ねふ」「ねう」が共通し、その訛りは「ねお」となる。中国山地の有名な和鉄の名産地伯耆(鳥取県)の製鉄中心地は根雨という町であった。この町名は「ねう」の宛て字であるが、大正になってもこの地方の老人は「ねお」と発音していた。その四隅を「ねう」という名をもつ土地に囲まれた伊吹《ねう》地帯の存在を偶然といい捨ててよいであろうか。しかもこの区画のなかには、鉄の神体山伊吹山、金糞山、金糞を最近まで出土していた南宮山が聳え、その外延上の北に土倉鉱山、赤谷、高倉峠、金草岳が連なっている。(中略)先般、根尾村の西に隣する徳山村の中央部、金糞岳、土蔵岳と根尾と結ぶ線上に、入谷(にゅうだに)、門入(かどにゅう)、戸入(とにゅう)という地名が集中していることを知らされた。地名で「入」と書いて「にゅう」と読むのは珍しく、(中略)ここでは古くから辰砂が採取されていて、その遺跡は弘法穴とよばれていて古い村人の記憶にある。根雨も根尾も「入」も、みな丹生なのである。和歌山県紀ノ川流域は海人族が開拓して砂鉄精錬をおこなっていたといわれているが、その上流にある丹生川の岸辺には鉄鉱石を混えた辰砂が露出している(「和鉄の文化」)。

 伊塚氏は、この「伊吹《ねう》地帯」で和鉄革新を行った氏族を伊吹山西麓地のその根拠地を有した息長氏一族とされ、その配下には伊勢湾-琵琶湖-敦賀湾-日本海を結ぶ海人族がいたとされる。
四、五世紀の日本本土中央部において、太平洋と日本海を琵琶湖によって結合する本州縦断の水・陸ルートと、さらにこれに直結した朝鮮半島への「中ツ海道」国際幹線路との関門は、すべて名門貴族息長氏の勢力圏内にあった。(前掲書)

 朝鮮半島の激動の余波は、この道を通してもくりかえし日本列島に押し寄せていたにちがいない。
 蚩尤や一つ目に代表される鉄の神々の伝承や、各地に残された鉄の地名はの数々は、中国大陸、朝鮮半島、そして日本列島各地を移動した金属産出の民の残した足跡であったにちがいない。そして、各地を転々とした彼らこそ、古代における始源の開拓者であったといえるだろう。

『濃尾古代史の謎水と犬と鉄』 尾関章著 より抜粋
by ultra3040 | 2005-02-04 17:06 | 謎解き古代史
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