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帰還



そういえば、フッと立ち止まってさんの「空」の記事に出てきたカードは、なにか奥の方で光っている物を発見している絵でしたね。それを思い出しました。


そういえば、こないだ行ったCafe HIZUKIさんのとこで、握らせてもらった器から、〝愛〟と呼ばれるようなものを見たと思ったんです。

それは、握っていた手の平の中に地球があって、大事な地球だと思ったら、地球が輝きだしていて、まばゆいばかりのその光は、自分の手の中からあふれ出すように光輝いているのを目の当たりにして号泣しているのでした。

Cafe HIZUKIの洋子さん、その数日前に光に包まれている自分を感じたとお話してくださり、それが目の前で起きたのをここで見たとおっしゃってくださいました。



昨夜久しぶりに、家でまったりしながら酒器を触ってみようと
手にとって、じっくりエネルギーの様子を感じていたところ

遠くにエネルギーの固まりを捉えて、それを集めていったのね
集めて固まりにしつつあるエネルギーが何者なんだろ?
なんて感じながらも、続けていたら....

涙がつたって流れ始めて、最初は静かな涙で
でも、途中から子供が泣くような感じで「悲しいんだよ」って
訴えかけてくるようだった

私は他人のような感覚で泣く自分を見つめながら
「誰のエネルギーなんだろ?私の?彼の?」と集め続けた

暗い固まりのようなエネルギーが、だんだん薄れていって
無くなってきた時、涙は自然に止まった(*_*)
他人のような感じで声も出しながら、泣いていたけど
その声も止まった

すると、器の揺れていたエネルギーが、細かい優しいエネルギーになって
揺れがなくなって、静かに優しく包み込む感じになった

私はひたすら「どんなあなたも愛している、いつどんな時だって
あなたを愛して止まない、あなたのすべてを愛している
安心して、何も恐くないよ、いつもどこでも私はあなたとともに居る」
といい続けた

私の過去の人格に対してなのか、誰かのか解かんないけど
しばらく言い続けた、エネルギーが落ち着くまで
私の愛=光で包み込むイメージで言い続けた

ベッドに入ったとき、不思議な事がまた起こった
枕元に「火水伝文」を置いて寝たんだけど、自分が光のコクーンに
なったかのように、輝いて包まれているのを感じた

みんなの準備が始まって、整いつつあるのだなぁと浮かんだ
準備ができつつあるんだ、その時が近いのだろう

魂の扉を開きに色々な方々が訪れてくださるのも、その証
時は刻まれて、知らないうちにその時を迎えようとしているんだろうか?

何かは知らない、けど近い

私は私を生きて、私を表現する日々を過ごす
私らしく、素直に生きて、私そのものを表現して生きる
生かされている日々に感謝して、結果を求めず、結果を気にせず
私らしく生きるだけ、ただそれだけ

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by ultra3040 | 2005-10-25 23:24

神淵神社



いろいろ次のステップに移る過程があるようですね☆
これから、準備段階に入るようです。

つぎも必ず用意されているようです。
すごい展開です@@;

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by ultra3040 | 2005-10-23 07:49 | 神社放浪記

◆天武と伊勢神宮


天武となったが「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。

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by ultra3040 | 2005-10-16 13:40 | ルーツ

「大海人と蓋蘇文は同一人物」の証明



大海人と蓋蘇文には多くの共通点がある。まず身体的な特徴が完全に一致する。

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by ultra3040 | 2005-10-15 23:44 | ルーツ

忍熊王

忍熊王については、密かに謎と思っていた。
下記において、なんとなく日本武尊とかぶっていると思った。


 ※忍熊王は福井の剣神社にて遭遇
  →忍熊王(都留支日古命?)



草と草薙剣より「両面宿儺」から安吾の仮説の項より抜粋

つまり日本武尊は熊襲兄弟を殺した。
その殺し方は女に変装して安心させておいて刺し殺した。

熊襲タケルは私の名のタケルをとって日本タケルとよびなさいと自分の名を彼(日本武尊)に伝えている。


ところが武振熊は忍熊王をだまして武器をすてさせて殺した。

  〔猪(伊吹山の白猪)と素手で戦って、伊吹山で死ぬ=日本武尊〕



そして両面スクナと忍熊王とはともに武振熊によって殺されている


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■ 奈良市押熊町(おしくまちょう) 八幡神社 その2


神功皇后は、京都の宇治に潜む忍熊皇子を、家臣の武内宿禰(たけのうちすくね)と、

和邇(わに)の臣の祖先 
   〔★〕武振熊(たけふるくま)に、忍熊皇子を討つよう命じます。


家臣の武内宿禰は、知恵を絞り、ズルをしまして~ 武器を隠し持ってながら、弓の弦を切り、武器を捨てたふりをして~ 忍熊皇子と和睦を進めます。

忍熊皇子は、これにすっかり騙されちゃいまして・・・近江の逢坂(おうさか)で追いつかれ、瀬田の渡りに沈んで亡くなったそうです。
で、忍熊皇子の部下たちは、近江の狭狭浪(ささなみ)の栗林(くるす)で切られと言われています。



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Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて

敦賀はなんと古事記の仲哀天皇の条に角鹿(ツヌガ)として登場している。

仲哀天皇の皇子、品陀和気(ほむだわけ)

が異母兄を  沙沙那美(ささなみ)(琵琶湖)に
追い詰めて滅ぼした後、禊(みそぎ)のために敦賀を訪れた時に、

地元の神、伊奢沙別命、が夢に現れて、

「吾が名を御子の御名に易(か)えまく欲(ほ)し」
と言い、御子がそれに応じたと言う。



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両面宿儺は凶賊か

 〔★武振熊が両面宿儺を退治する。〕
 

『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・タケフルクマが飛騨国の怪人・宿儺を退治した話を伝える。
「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」
 原文ではわずか八四文字、この話は『日本書紀』にのみあって『古事記』にはない。タケフルクマは仲哀記に「難波根子建振熊命」、神功紀に「和珥臣の祖武振熊」とあり、神功・応神と争う忍熊王を攻めた将軍と伝えられる。タケフルクマの事績として伝えられているのは、忍熊王追討と宿儺退治の二つのみである。

 ただし、『古事記』では忍熊王を近江で入水に追い込んだのはタケフルクマその人とされているが、『日本書紀』ではその役を武内宿禰が果たしたことになっている。
 いわば、『日本書紀』におけるタケフルクマは、忍熊王追討で武内宿禰に譲った分の出番を、宿儺退治で取り戻した形になっているのである。


※〔 〕はわたしの付け足し。

別に 安吾探偵の方法 ですこぶる面白みがあると思った。
じっさい、ひとり二役をやってのけて実際その名を歴史にとどめている人物が姿を現し始めている。
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by ultra3040 | 2005-10-15 21:27 | ルーツ

劔神社(剣神社)


 ●御祭神
   素盞嗚大神 
   氣比大神
   忍熊王(都留支日古命?)

 都留支日古命(スサノオの子)
忍熊王は仲哀天皇の皇子であり、都を離れて越の国に遠征され賊徒を征討。悪戦苦闘の際に、霊夢によって伊部臣にあい、神剣を得て賊徒を平定。この神剣をもって素戔嗚尊の御霊代(都留伎日古命)としていつき祀り、忍熊王は神恩感謝の為に織田の地に社をいとなみ「劔大明神」としてまつられた。
北陸縦断駆け抜け詣でより


忍熊王は、素盞嗚大神からもらった剣で賊を平定。その剣を奉納して祀ったのが「劔神社」のはじまりとしている。


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  → 劔神社由緒略記 クリックすると拡大します。
        注!)ちょっと読みにくいです・・・

ここでも道鏡(弓削道鏡)の文字が見られました。
殊に所蔵する国宝の神鐘は第四十九代光仁天皇が白壁王と申されていた頃、弓削道鏡の野望を砕くために当社に大願が掛けられ、成就の御礼として御奉納戴いたといわれている

どうも、宇佐八幡託事件がからんでいるようすです。 越前国ニの宮 劔神社 由緒書
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by ultra3040 | 2005-10-15 16:54 | 神社放浪記

ナゾの日神

 古事記によると、ツヌガアラシトは角がある人という意味で、朝鮮半島の伽耶から渡来してきた王子であるという。
 古代史研究家によると、同じく新羅から渡来してきた王子「天之日矛」と同一人物であるとも指摘されている。
 伽耶は新羅に征服された経緯があることから、天之日矛は日本に渡来してきた新羅系伽耶人の象徴的な存在ではないかといわれている。

 また、天之日矛には別名が多く、越前の気比神宮の主祭神「イササワケ命」のほか、近江の鏡神社の主祭神「天目一箇命」、御上神社の主祭神「天御影命」とも同一人物とされる。
 しかも、籠神社の伝承によると、この天御影命は天火明の別名であるという.....
月間ムー1月No.278より(以上抜粋)




気比神宮(気多大社、宇賀之御霊etc...)
カ行の音は、古代食物を意味した。

豊受大神も、食物に関わる



ということは、気比神宮は、もともとは豊受大神を祀っていたということ!?

また、熊野で、ひんぱんに登場するスサノオの別名「家都美御子」や、「神祖熊野大神櫛御気野尊」(スサノオの諡号)の「ミケ」も御食で、食物を司っているということ??


応神天皇が「伊奢沙別命」と名前を交換している

「吾が名を御子の御名に易えまく欲し」


①名前を交換しているということは、スサノオが、御食神(豊受、国常立)と交換したのか?
ここで、男が女なりすまして、だまし討ちの神話が成り立つような気がする。(ヤマトタケルと熊襲タケル?) 


②国常立大神が大元神とカモフラージュしたことや、豊受大神を食物を司る神として曖昧にしたこととリンクしているような気がする。宇佐神宮と大元神

宇佐八幡事件などが、密接に関わっているのかもしれない。
道鏡と宇佐神宮


というわけで、まとめてみると、

★応神天皇は角鹿の笥飯大神と名前を交換し、大神を去来沙別(いざさわけ)の神とし、応神は誉田別(ほむだわけ)尊としたとある。すると、応神の元の名前は去来沙別であり、天日槍ということになる。即ち、新羅・加羅系の人であったということになるのである。

★気比神功の祭神である伊奢沙別命は、新羅の王子天日槍であり、都怒我阿羅斯等でもある

三井寺>連載>新羅神社考>福井県の新羅神社(1)より抜粋



わたしも頭の中ごちゃごちゃだったが、こう記事にしてみるとなんとなくわかったような気がする・・・き、き、気がするだけ・・・?

その他参考
 *御井神の系譜
 *Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて

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by ultra3040 | 2005-10-11 20:59 | ルーツ

気比神宮


伊奢沙別命(いざさわけのみこと)

千有余年、天筒の嶺に霊跡を垂れ境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承される伊奢沙別命は笥飯大神(けひのおほかみ)、又の名を御食津大神(みけつおほかみ)と称へ奉り食物を司り給う神で、上古より北陸道総鎮守と仰がれ、海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に御神徳、霊験著しく鎮座されている。また、ケは食物を意味し、ヒは霊妙(不可思議な働き)を意味するとも伝えられる。また、弘法大師が立宗された真言宗(密教)では、高野山真言宗の四大守護神(四社明神)のひとつとして祀られ、伝教大師が立宗された比叡山天台宗においても山中に氣比神社を建て守護神として祀られている。 気比神宮ホームページより

          ▼右が天筒山、左が伊奢沙別命が降臨したといわれる土公

           


           




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亀の口から水が流れています。気比の長命水
ここでもいのちの水と書かれてありました。
無病息災と延命長寿の御利益だそうです。

◆御祭神
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by ultra3040 | 2005-10-11 17:21 | 神社放浪記

生きる力


 
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by ultra3040 | 2005-10-08 19:24 | めっせーじ

秋桜




   
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by ultra3040 | 2005-10-08 07:17 | めっせーじ