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白鬚神社

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白鬚神社に行ってきてしまった。お天気はあまりよくなかったけど、三角錐のイワクラもあって不思議なところでした。琵琶湖はきれいで、また天気のいい日に来たいな。。ここも、朝日がよいかも。

 ◎白鬚神社の岩石祭祀事例(滋賀県高島町)

さくらさんに教えてもらったページ。
 ◎白髭神社と新羅(2)、琵琶湖西岸
わたしは、やたら新羅関係ばっかかも。
いよいよ、継体も呼んでいる…
 ◎湖北・湖西に朝鮮文化をたずねる


 湖上の鳥居は沖の島に向かって建てられているそうでこの方角は・・・?
ピラミッド型の三角錐のイワクラなので、やはり太陽祭祀と関係ありそうと思ったけど、よくわからなった。。

       
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by ultra3040 | 2005-02-13 19:19 | 神社放浪記

闇の輝き

 神倉山は女神なので、男しか、上り子になれないのだそうです。
『女の神様の母胎に帰るんだ』(中上健次)そうで、それはそれは、勇ましい男気あふれるお祭りでした。おとこが男になれる祭り、男性面強化中の私はできるもんなら、私もやってみたい、羨ましいお祭りでした。崖のようなところを駆け下りるので、半ば宙を飛んでいる・・・、お酒飲まないと無理とお話しされていました。先頭の人は飛び出してから駆け下りるのに、二分をきるというそうです。いいな~、やってみたい。。わたしは、結構怖いの大好きなんで・・、男性性がないというより、隠れているだけで、ブロックさえなければ、きっとどこまでもいくのでしょう。だから、痛い目にあっていたりして本当は懲りない人なのでしょうね
        
 そんな話しをしていたら、次の日、仙人と呼ばれる人が登場して、仙人??なんて思っていたのですが、これが、また衝撃でした。
「女の人は男の山に登ったらいい」なんていうお話をしてくださり、この山が777m。おお、ビンゴ!!きっと、また登りに行っているでしょう。(笑)
この仙人と呼ばれていた人の話が、すごかったです!何がすごいかと言ったら、話しもおそらくすごいのですが、降ろしてくるエネルギーがすごかった。たまたま、わたしは仙人の隣だったんですが、話している間、ずっと下腹部あたりから、第一チャクラ、基底部あたりが、かぁーっと熱くなってくるんですね。こんなことは初めてです。エネルギーも相当で、体が内から発火してくるという感じでした。みんなも真剣に聞いており、涙ぐんでいる人もちらほら。mikoさんは、最初から大泣きしていました^^ 神さまが近かったです。熱かった。陰陽の話しをされ、女性が力を発揮できないように封印をされているので、そういう山も封印されていたのだ、などというお話です。全くのシンクロシニティで思わず喜んでしまいました。なかなか、きわどい話しをしていたとおもったのですが、どうでしょう。

 これから、地球の揺れが激しくなり、地球全体で通過儀礼を体験していくことになっていく、というお話しでした。すべての人の目覚めを促すためです。みなさん、こころしてかかりましょうね。生きながら、死を通過するのですよ~。何もかもが胎内くぐりです。でんでん、でんぐり返ってバイバイ、バイ。死を知ることは、すなわち、それ生なり。本当の生きる喜び、いのちの躍動を体験しましょうね。

 民族学では、日常を「ケ」といい、通過儀礼・祭事を「ハレ」といいます。「ケ」(気・生命力)が枯れた「ケガレ」状態でこれを回復するのが「ハレ」。こころの垢や病気を晴らし祓う。「ハレ」の空間で擬似的な死と再生を体験することによって、新しい年を健やかに新しい気を迎えいれ、元気をよみがえらせ、そしてまた、日常にもどって暮らしていくということのようです。なるほど、古代から連綿と続く祭りには、多くの真理が含まれているようです。もしくわ、当たり前のことを、当たり前のように行ってきただけなのかもしれません。

 熊野の地名には、「隈々しい」=深く隠れる、を意味するともいわれています。一家総出、地球全体で病み、止み、そして闇。わたしたちを生かし給う根源のエネルギーは闇の中でさらなる輝きを見出す己自身でもある。廻るいのちの火を戴き、再びこころに点火させて、火を受け継ぐ者、これぞ日継ぐ【ヒツギ】の民と申す者。私自身この先、何によって動いていけるのか、わたしの「しん」なる思いの不動のこころを養う旅でもあったようです。

              
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by ultra3040 | 2005-02-08 22:03 | こころ

お灯まつり

女の人は神倉神社境内入り口のあの注連縄より中は入れなくて、豪壮な火の風景の写真はなかなか撮れませんでした。しかもぼけぼけな写真です。。
 
 ・ニュースの写真
     YOMIURI ON-LINE /フォトニュース
     火竜、一気:新宮お灯まつり - 毎日新聞 -
 ・観光案内の写真
     ふるさとの窓 【わかやまの風物詩】

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by ultra3040 | 2005-02-08 12:05 | こころ

たまゆら


速玉大社についたときは、ものすごい神気でした。
祭りの荒々しい男の熱気と神々しい神様の気が高まっていたのでしょうか。
もう一度行きたい場所!!祭りの日でないと、ああではないんかな?
とにかく、すごい気。たまらないです・・


たまゆらが写ってました。こちらのは、人々のご先祖様でしょうか。    
mikoさんがすごいたまゆらを撮られていたのでそちらの方をお楽しみに!


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by ultra3040 | 2005-02-08 11:58 | こころ

祭りの前


 装束を身につけたときから、神の子になるといいます。参加者 は上り子と呼ばれ熊野神のたどった道をなぞるように、阿須賀神社速玉大社などを参拝して、神倉社の山に登るのだそうです。
 その途中、夕暮れの迫る道筋のあちこちで、清めの酒が振舞われます。俗称「ケンカ祭り」と呼ばれるこの祭りは、暗くなったのを幸いに、酒もほどよい頃合にまわれば、ケンカがはじまるらしい・・・。松明をかついで、登るので、これが、かっこうの武器になります。山からおりてくるときには殴られて、血だらけになっていた人もいました。機動隊の完全武装隊はここぞとばかり、絶好の活躍の場であるらしくやる気満々で待機です。臨場感たっぷりのレポート→「やっぱお燈まつりでしょ」松明をがっちんことさせて、頼むでぇ~!掛け声とともに祭りの興奮が充満していきます。





花の窟でお祈りし、だんだんお灯まつりが近づくにつれ、だんだん空の様子が異様な雰囲気に包まれ、鱗のような、亀の甲羅のような雲の模様が広がっていきました。新宮につき、阿須賀神社に向かう頃には、神倉山は夕暮れとともに黄金色に輝き、光の柱が立ったように見えました。。
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by ultra3040 | 2005-02-08 11:58 | こころ

花の窟



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by ultra3040 | 2005-02-08 11:33 | こころ

紀伊の海

橋杭岩
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七里御浜
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by ultra3040 | 2005-02-08 10:57 | こころ

伊吹《ネウ》

 私はこの地域をとくに伊吹《ねう》地帯とよぶ。丹生は全国に拡がる地名で赤い顔料となる土、すなわち朱(硫化水銀)や丹(四塩化鉛)の産地を指す古語とされているが、赤鉄鋼、褐鉄鉱、酸化鉄、鉄丹といわれており、その産地名も丹生であった。(中略)丹生は仮名書きでは「にゅう」「ねふ」「ねう」が共通し、その訛りは「ねお」となる。中国山地の有名な和鉄の名産地伯耆(鳥取県)の製鉄中心地は根雨という町であった。この町名は「ねう」の宛て字であるが、大正になってもこの地方の老人は「ねお」と発音していた。その四隅を「ねう」という名をもつ土地に囲まれた伊吹《ねう》地帯の存在を偶然といい捨ててよいであろうか。しかもこの区画のなかには、鉄の神体山伊吹山、金糞山、金糞を最近まで出土していた南宮山が聳え、その外延上の北に土倉鉱山、赤谷、高倉峠、金草岳が連なっている。(中略)先般、根尾村の西に隣する徳山村の中央部、金糞岳、土蔵岳と根尾と結ぶ線上に、入谷(にゅうだに)、門入(かどにゅう)、戸入(とにゅう)という地名が集中していることを知らされた。地名で「入」と書いて「にゅう」と読むのは珍しく、(中略)ここでは古くから辰砂が採取されていて、その遺跡は弘法穴とよばれていて古い村人の記憶にある。根雨も根尾も「入」も、みな丹生なのである。和歌山県紀ノ川流域は海人族が開拓して砂鉄精錬をおこなっていたといわれているが、その上流にある丹生川の岸辺には鉄鉱石を混えた辰砂が露出している(「和鉄の文化」)。

 伊塚氏は、この「伊吹《ねう》地帯」で和鉄革新を行った氏族を伊吹山西麓地のその根拠地を有した息長氏一族とされ、その配下には伊勢湾-琵琶湖-敦賀湾-日本海を結ぶ海人族がいたとされる。
四、五世紀の日本本土中央部において、太平洋と日本海を琵琶湖によって結合する本州縦断の水・陸ルートと、さらにこれに直結した朝鮮半島への「中ツ海道」国際幹線路との関門は、すべて名門貴族息長氏の勢力圏内にあった。(前掲書)

 朝鮮半島の激動の余波は、この道を通してもくりかえし日本列島に押し寄せていたにちがいない。
 蚩尤や一つ目に代表される鉄の神々の伝承や、各地に残された鉄の地名はの数々は、中国大陸、朝鮮半島、そして日本列島各地を移動した金属産出の民の残した足跡であったにちがいない。そして、各地を転々とした彼らこそ、古代における始源の開拓者であったといえるだろう。

『濃尾古代史の謎水と犬と鉄』 尾関章著 より抜粋
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by ultra3040 | 2005-02-04 17:06 | 謎解き古代史

太陽族 ラ族

 朝鮮半島には、その中央を縦に走る太白山脈があり、その東側には太陽族、即ち太陽神を信じていた太陽信仰族がいて、その西側には熊をトーテムとする信仰を持った部族がいた。特に東側の太陽信仰族は地名に太陽神(=「ラ」)という言葉をよく使ったので、この地域には羅津、羅南、新羅、伽羅等の地名が多く、日本の奈良(ナラ)という地名もこれに属する。これらは全て太陽信仰属の残した地名である。『古事記』、『日本書紀』等に残された神様の名前や現在の日本人の名前にもよく使われる「ヒコ」(彦)のもとの形は「日子」であり、「ヒメ」(姫)のもとの形は「日女」である。その意味は「日の子供」「日の女」であるが、これも太陽信仰族の残した言葉であり、日本の弥生時代前期の信仰トーテムが実は太陽であったのだ。
 ところが、その後、百済を中心として、熊を信仰のトーテムとする渡来人達が半島から押し寄せてきて、太陽信仰族である第一期大和王朝を滅ぼしてしまった。(「ヤマト言葉の語源が語る日本民族の起源」『古代朝鮮と日本』泰流社)

 朴炳植氏によれば、新羅を中心とする第一期ヤマト王朝とは神武から仲哀にいたる王朝であり、百済を中心とする第二期ヤマト王朝こそが、応神王朝だったのである。
紀元三六二年、太陽王朝最後の天皇である仲哀が「クマソ」征伐の途中、謎の死を遂げることによって、第二期ヤマト王朝が「クマソ」の手によって始まることになる。その証拠に、『記・紀」から、神功皇后以降、「クマソ」の名が消えてなくなっている。そして、その代わりに登場するのが「エミシ」なのである。(同右)

 ここで、日本各地に祀られた兵主神(蚩尤)が天之日矛につながる新羅系渡来人が奉ずる神であったと仮定するなら、両面宿儺(私説よれば蚩尤)の討伐者を武振熊(百済系の軍人)としなければならなかった理由は自ずと明らかとなる。古代において、百済と新羅という図式は、同時に畿内王権の一貫する対立抗争の図式でもあった。それが最も顕著に露呈したのは、天智から天武にいたる時代であったと私は思う。その時代の強烈な印象が、まだ生々しく生きていた時代に『記・紀』の基礎資料が編集されはじめていたのである。

『濃尾古代史の謎水と犬と鉄』 尾関章著より 抜粋
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by ultra3040 | 2005-02-04 16:10 | 謎解き古代史

GO!

そのまま
そのまま
そのままで、GO! 

神の名は  GOD!

うちに近くの物部郷は神戸(ごうど)☆

神の戸を開いて、GO~っと!!


               
                   
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by ultra3040 | 2005-02-03 16:47 | こころ