カテゴリ:ルーツ( 15 )

◆天武と伊勢神宮


天武となったが「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。

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by ultra3040 | 2005-10-16 13:40 | ルーツ

「大海人と蓋蘇文は同一人物」の証明



大海人と蓋蘇文には多くの共通点がある。まず身体的な特徴が完全に一致する。

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by ultra3040 | 2005-10-15 23:44 | ルーツ

忍熊王

忍熊王については、密かに謎と思っていた。
下記において、なんとなく日本武尊とかぶっていると思った。


 ※忍熊王は福井の剣神社にて遭遇
  →忍熊王(都留支日古命?)



草と草薙剣より「両面宿儺」から安吾の仮説の項より抜粋

つまり日本武尊は熊襲兄弟を殺した。
その殺し方は女に変装して安心させておいて刺し殺した。

熊襲タケルは私の名のタケルをとって日本タケルとよびなさいと自分の名を彼(日本武尊)に伝えている。


ところが武振熊は忍熊王をだまして武器をすてさせて殺した。

  〔猪(伊吹山の白猪)と素手で戦って、伊吹山で死ぬ=日本武尊〕



そして両面スクナと忍熊王とはともに武振熊によって殺されている


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■ 奈良市押熊町(おしくまちょう) 八幡神社 その2


神功皇后は、京都の宇治に潜む忍熊皇子を、家臣の武内宿禰(たけのうちすくね)と、

和邇(わに)の臣の祖先 
   〔★〕武振熊(たけふるくま)に、忍熊皇子を討つよう命じます。


家臣の武内宿禰は、知恵を絞り、ズルをしまして~ 武器を隠し持ってながら、弓の弦を切り、武器を捨てたふりをして~ 忍熊皇子と和睦を進めます。

忍熊皇子は、これにすっかり騙されちゃいまして・・・近江の逢坂(おうさか)で追いつかれ、瀬田の渡りに沈んで亡くなったそうです。
で、忍熊皇子の部下たちは、近江の狭狭浪(ささなみ)の栗林(くるす)で切られと言われています。



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Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて

敦賀はなんと古事記の仲哀天皇の条に角鹿(ツヌガ)として登場している。

仲哀天皇の皇子、品陀和気(ほむだわけ)

が異母兄を  沙沙那美(ささなみ)(琵琶湖)に
追い詰めて滅ぼした後、禊(みそぎ)のために敦賀を訪れた時に、

地元の神、伊奢沙別命、が夢に現れて、

「吾が名を御子の御名に易(か)えまく欲(ほ)し」
と言い、御子がそれに応じたと言う。



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両面宿儺は凶賊か

 〔★武振熊が両面宿儺を退治する。〕
 

『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・タケフルクマが飛騨国の怪人・宿儺を退治した話を伝える。
「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」
 原文ではわずか八四文字、この話は『日本書紀』にのみあって『古事記』にはない。タケフルクマは仲哀記に「難波根子建振熊命」、神功紀に「和珥臣の祖武振熊」とあり、神功・応神と争う忍熊王を攻めた将軍と伝えられる。タケフルクマの事績として伝えられているのは、忍熊王追討と宿儺退治の二つのみである。

 ただし、『古事記』では忍熊王を近江で入水に追い込んだのはタケフルクマその人とされているが、『日本書紀』ではその役を武内宿禰が果たしたことになっている。
 いわば、『日本書紀』におけるタケフルクマは、忍熊王追討で武内宿禰に譲った分の出番を、宿儺退治で取り戻した形になっているのである。


※〔 〕はわたしの付け足し。

別に 安吾探偵の方法 ですこぶる面白みがあると思った。
じっさい、ひとり二役をやってのけて実際その名を歴史にとどめている人物が姿を現し始めている。
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by ultra3040 | 2005-10-15 21:27 | ルーツ

ナゾの日神

 古事記によると、ツヌガアラシトは角がある人という意味で、朝鮮半島の伽耶から渡来してきた王子であるという。
 古代史研究家によると、同じく新羅から渡来してきた王子「天之日矛」と同一人物であるとも指摘されている。
 伽耶は新羅に征服された経緯があることから、天之日矛は日本に渡来してきた新羅系伽耶人の象徴的な存在ではないかといわれている。

 また、天之日矛には別名が多く、越前の気比神宮の主祭神「イササワケ命」のほか、近江の鏡神社の主祭神「天目一箇命」、御上神社の主祭神「天御影命」とも同一人物とされる。
 しかも、籠神社の伝承によると、この天御影命は天火明の別名であるという.....
月間ムー1月No.278より(以上抜粋)




気比神宮(気多大社、宇賀之御霊etc...)
カ行の音は、古代食物を意味した。

豊受大神も、食物に関わる



ということは、気比神宮は、もともとは豊受大神を祀っていたということ!?

また、熊野で、ひんぱんに登場するスサノオの別名「家都美御子」や、「神祖熊野大神櫛御気野尊」(スサノオの諡号)の「ミケ」も御食で、食物を司っているということ??


応神天皇が「伊奢沙別命」と名前を交換している

「吾が名を御子の御名に易えまく欲し」


①名前を交換しているということは、スサノオが、御食神(豊受、国常立)と交換したのか?
ここで、男が女なりすまして、だまし討ちの神話が成り立つような気がする。(ヤマトタケルと熊襲タケル?) 


②国常立大神が大元神とカモフラージュしたことや、豊受大神を食物を司る神として曖昧にしたこととリンクしているような気がする。宇佐神宮と大元神

宇佐八幡事件などが、密接に関わっているのかもしれない。
道鏡と宇佐神宮


というわけで、まとめてみると、

★応神天皇は角鹿の笥飯大神と名前を交換し、大神を去来沙別(いざさわけ)の神とし、応神は誉田別(ほむだわけ)尊としたとある。すると、応神の元の名前は去来沙別であり、天日槍ということになる。即ち、新羅・加羅系の人であったということになるのである。

★気比神功の祭神である伊奢沙別命は、新羅の王子天日槍であり、都怒我阿羅斯等でもある

三井寺>連載>新羅神社考>福井県の新羅神社(1)より抜粋



わたしも頭の中ごちゃごちゃだったが、こう記事にしてみるとなんとなくわかったような気がする・・・き、き、気がするだけ・・・?

その他参考
 *御井神の系譜
 *Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて

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by ultra3040 | 2005-10-11 20:59 | ルーツ

ひみつ

いろいろとしゃべりたいことがあるのですが、ひみつなので黙っていたいです^n^!

が黙っていられずボソボソ・・・
わたしの頭の中では、スサノオをと朝鮮と男根は結びついています。


これについてもいろいろ話がありますが・・・省こっ^^


さいきんはこれに天日矛がプラスされてきました。
詳細はブログに綴っているはず・・・^^;




また素盞鳴尊は、
都怒我阿羅斯等(=新羅の王子天日槍)が
モデルであるとも言われています。
三井寺

ヒボコ伝説

メモ蘇那葛叱智と天武
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by ultra3040 | 2005-05-14 01:26 | ルーツ

都怒我阿羅斯等

きのう都怒我阿羅斯等のページを見てはじめて知ったんですが、
その昔、額に角がある人が船に乗って越前国笥飯浦(敦賀)に着いた。話を聞くと日本に聖皇(崇神天皇)がいると聞き、加羅国(朝鮮半島南部に存在した国)から仕えるために来たとのこと。だが、天皇は崩御したばかりで、次の垂仁天皇に仕え、3年が過ぎて故郷へ帰ることになった。そのときに崇神天皇(名は御間城入彦五十瓊殖尊)の名を貰い、国名(任那)としたという話である。

五十瓊殖尊イニシキとあるではないか!!崇神天皇ってイニシキだったのね。
え!?ということは、都怒我阿羅斯等は御間城入彦五十瓊殖尊ってこと!?

なんか話が繋がってきたと思うのは私だけ?
すごい、すごい!!ひとりでさわいでる~!
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by ultra3040 | 2005-04-04 11:22 | ルーツ

ミトラス教

松岡正剛の千夜千冊『ミトラス教』 より

ミトラ神については謎が多く、何も明らかにされていないそうです。
幼神ミトラ(ミトラス)は12月25日に岩から生まれたということだ。岩のことをペトラ・ゲネトリクスという。このことはミトラが「冬至」の儀式と深いつながりをもつことを意味する
ということで、ミトラも日光感性神話のひとつと言えそうです。これは、冬至の日に御岳を位山より拝むと、御岳[巨大な岩]から太陽が昇るそうです。
冬至とは「太陽の再生」を願うことである(ナタリス・ソリス)。あるいは「征服されざる太陽の誕生日」のことである。この日にイエスが生まれたとするキリスト教が、こうしたミトラの誕生譚を換骨奪胎したであろうことは推測するに難くない。
だから、天照とキリストが結びつくのでしょうか?
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by ultra3040 | 2005-03-15 00:22 | ルーツ

日本の誕生

天武天皇こと大海人は、はっきりとこの不敗の神 ミトラ=「ミロク」を意識して、壬申の乱を戦ったようである。
「伊勢」という地名も「磯」が転じたものだと考えられており、鈴鹿の山中で天照を崇拝するという構図は成立しないようだ。「天照」というよりは「海照」だったと考えるべきだろう。又、天照が太陽神ならば別に海にこだわる必要は無いのだろうが、大海人が海人族の影響を受けていたと結果と言えそうだ。海人族は伊勢の神を海から産出する海産物の恩恵にあやかり「御食つ神」としており、この考え方は後の宮廷に引き継がれている。
 このとき水平線から出現する太陽を大海人は勝利の兆しと見たか、この後、太陽を背に近江に向けて攻めかけることになる。太陽とともに東側から攻めるという構図は神武東征と同じである。
 伊勢の神が太陽神になったのはこの時なのかもしれない。

大海人と天照より


日を背負いてこそ撃ちめ”という幻想 こそ、大海人自ら太陽を背負い降臨する図を頭に描いていたに違いない。「大君は神にしませば」と謳われた大海人こと天武は、おそらく自ら北方騎馬民族特有の太陽降臨神話始祖伝承、つまりこの国の王始祖としてこの国に君臨した、と言っているに相違ない。
日本人および日本の誕生
  (両面宿儺伝説をめぐる奇想)


 伊勢神宮には、天武・大海人が祭祀制度を確立した、皇祖神を祭る最初の公的な神宮として知られている。
 天武は、絶対王政と律令制度によって軍事的、政治的な独立国家としての日本を急速に確立しょうとしただけではない。西アジア的な太陽信仰に基づく、文化的にも独立した日本という国家の確立を急いだ。


『古代天皇家と日本正史―現人神と万世一系の超秘密』より

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by ultra3040 | 2005-03-14 03:05 | ルーツ

太陽と黄金

さてさて、「日光感精神話」 から
お次は、「金華山(イナバ山)」です。


ミロクの道
岐阜に金華山(稲葉山、写真、手前三角錐のピラミッド型の山)という山があるのですがそこから夏至の日に御岳(写真後方)を望むと御岳の上から太陽が昇るらしいです。その、丑寅の方角をそのまま延長すると、仙台の金華山(古くは金山毘古、金山毘売神を祀る縁起式内社があった)の方を指すといわれています。また、その丑寅の線を南西に延長すると、京都府相楽郡の笠置山(古来からのミロク信仰のメッカ)、奈良の東大寺、法隆寺、法起寺にぶつかり、この線上をミロクの道というふうに名づけられています。

おそらく、古くより、御岳はミロクが下生する山(蔵王権現)として崇められたようです。

 ※ミロクは、アジアでは古くから鬼門とされた東北の山から下生すると言われている。


 以上 『濃尾古代史の謎水と犬と鉄』 尾関章著 より 
http://ultra3040.exblog.jp/1751804/



             


ご存知、金華山の麓にある
伊奈波神社伝承

イニシキ命=イナバ山の主神

 「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」

イニシキ・・・。
イニシキとは、西から来たの意、
(イは接頭語)のことだそうです。




☆日光感精神話(北アジアの遊牧騎馬民族に特有の神話)
神霊の精気を受けて懐妊し、神の子を生むという形式の中でも、特に女性が日光に感じて妊娠し、太陽神の子を生むといった形式。

③美濃国方県郡水野郷楠見村
  県氏の娘、未婚の女が懐妊
厚見郡 伊奈波神社の神が「その二つの はわが子」との託宣
女の家に忌垣を立てて祀った。<日本霊異記>
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この話は美濃の国の方縣の郡水野の郷の楠見という村のことあるが、それによれば、そこのある豪族の娘が、嫁がず、未通のまま懐妊する。そして延暦元年の春に、二つの四角い石を産む。一方は青と白の斑、他方は青一色で、大きさは十五センチぐらい(五寸)。毎年大きくなったということである。隣の淳見という郡には伊奈婆という大神があるが、ある時その神が巫女に取りついて「その産まれた二つの石は自分の子だ」と言う。そこで女は家の中に忌籬を立てて斎いたということである。
―夢窓疎石と作庭 ---- 霊石の系譜学 ◆ 「小石神」「丸石神」より―



―イナバ山の場合―
御嶽 = 巨大な岩 = 母の胎内

からお生まれになった太陽(の御子) = 五十瓊敷入彦命か? ミロク?


もちろん、金華山(イナバ山)→ 御嶽

夏至の日の出の方角、  丑寅の方角=鬼門。

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                   御岳と金華山 1/13 [写真]
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by ultra3040 | 2005-03-13 18:26 | ルーツ

天照大御神

Leyline Hunting
●2002.06.24 夏至の結界には
夫婦岩の間から顔を覗かせる太陽は、まさに天孫の降臨を表し、それを待ち受けるわけだ。遥拝所に立ち、夫婦岩のちょうど真中にGPSを向けると、電子コンパスは、背後の興玉神社の本殿から伊勢内宮までが直線で結ばれることを示す。
とレポートされていて、富士より昇り来る朝日はそのまま伊勢神宮、皇大神宮(こうたいじんぐう)「内宮」へと突き刺す。天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の登場である。おそらく皇室の祖であろうか・・・。

天照皇大御神、こう聞いただけで一気に波動レベルが重くなったのは気のせい?まだまだ、払拭することがたくさんあるようですね。。万世一系・・・、万世一系って何?個人的には、こんな程度です。。天皇制度ってなんなんだ!!そんなもん、なくしてしまえばいい!お馬鹿なわたしは、どちらかというと、そんな感じです^^なんか、悪い面を見て極論を言っているのかしらね?

なんか思わず、どえらいところに来てしまった気が・・・。万世一系、天皇、騎馬民族、なんか最近そんな、キーワードで埋め尽くされしまって・・・。世間でも、天皇家は騒がれているご様子。ここまで来たら避けては通れない。。いったい、わたしのブログはこの先どこへいっちゃうの(笑)

なんて、本当はもはや、「われわれは、どこに行ってどこに行くのだろうか」と言って、あてどもなく、彷徨い続けていないで、自分のルーツを見つめ、「われわれとは、いったい何者か?」の答えを知る時期に来ているのではないのか?

『古代天皇家と日本正史―現人神と万世一系の超秘密』 の言葉を借りると、
世界が「力の道」ではなく、「いのちの道」のなかでひとつになれるよう
わたしもひとつこのようなテーマを掲げ模索してみたいと思う。
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by ultra3040 | 2005-03-07 02:30 | ルーツ