いのちのきずな
2010-08-21T17:52:59+09:00
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橋杭岩
Excite Blog
新しいブログのお知らせ
http://ultra3040.exblog.jp/3811355/
2005-11-23T12:26:00+09:00
2009-12-06T16:40:14+09:00
2005-11-23T12:26:20+09:00
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未分類
まだ見ていただいている方、ありがとうございますぅ~。☆:*:・,*。・:・゚'・’☆。・:・゚
お待たせしました^^ いのちのきずなⅡをはじめました。(更新は不定期)
引き続き、〝いのちのきずなⅡ〟もよろしくご愛顧くださりますようおねがいいたします♪
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帰還
http://ultra3040.exblog.jp/3677455/
2005-10-25T23:24:00+09:00
2009-12-06T16:42:42+09:00
2005-10-25T23:23:49+09:00
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未分類
そういえば、フッと立ち止まってさんの「空」の記事に出てきたカードは、なにか奥の方で光っている物を発見している絵でしたね。それを思い出しました。
そういえば、こないだ行ったCafe HIZUKIさんのとこで、握らせてもらった器から、〝愛〟と呼ばれるようなものを見たと思ったんです。
それは、握っていた手の平の中に地球があって、大事な地球だと思ったら、地球が輝きだしていて、まばゆいばかりのその光は、自分の手の中からあふれ出すように光輝いているのを目の当たりにして号泣しているのでした。
Cafe HIZUKIの洋子さん、その数日前に光に包まれている自分を感じたとお話してくださり、それが目の前で起きたのをここで見たとおっしゃってくださいました。
昨夜久しぶりに、家でまったりしながら酒器を触ってみようと
手にとって、じっくりエネルギーの様子を感じていたところ
遠くにエネルギーの固まりを捉えて、それを集めていったのね
集めて固まりにしつつあるエネルギーが何者なんだろ?
なんて感じながらも、続けていたら....
涙がつたって流れ始めて、最初は静かな涙で
でも、途中から子供が泣くような感じで「悲しいんだよ」って
訴えかけてくるようだった
私は他人のような感覚で泣く自分を見つめながら
「誰のエネルギーなんだろ?私の?彼の?」と集め続けた
暗い固まりのようなエネルギーが、だんだん薄れていって
無くなってきた時、涙は自然に止まった(*_*)
他人のような感じで声も出しながら、泣いていたけど
その声も止まった
すると、器の揺れていたエネルギーが、細かい優しいエネルギーになって
揺れがなくなって、静かに優しく包み込む感じになった
私はひたすら「どんなあなたも愛している、いつどんな時だって
あなたを愛して止まない、あなたのすべてを愛している
安心して、何も恐くないよ、いつもどこでも私はあなたとともに居る」といい続けた
私の過去の人格に対してなのか、誰かのか解かんないけど
しばらく言い続けた、エネルギーが落ち着くまで
私の愛=光で包み込むイメージで言い続けた
ベッドに入ったとき、不思議な事がまた起こった
枕元に「火水伝文」を置いて寝たんだけど、自分が光のコクーンに
なったかのように、輝いて包まれているのを感じた
みんなの準備が始まって、整いつつあるのだなぁと浮かんだ
準備ができつつあるんだ、その時が近いのだろう
魂の扉を開きに色々な方々が訪れてくださるのも、その証
時は刻まれて、知らないうちにその時を迎えようとしているんだろうか?
何かは知らない、けど近い
私は私を生きて、私を表現する日々を過ごす
私らしく、素直に生きて、私そのものを表現して生きる
生かされている日々に感謝して、結果を求めず、結果を気にせず
私らしく生きるだけ、ただそれだけ
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神淵神社
http://ultra3040.exblog.jp/3663787/
2005-10-23T07:49:00+09:00
2009-12-06T16:41:18+09:00
2005-10-23T07:48:03+09:00
ultra3040
神社放浪記
いろいろ次のステップに移る過程があるようですね☆
これから、準備段階に入るようです。
つぎも必ず用意されているようです。
すごい展開です@@;
神淵神社に行ってきました。
スサノオとヤマタノオロチ伝説のあるところです。
十拳剣を祀ってたという伝説があります。
また大海人皇子(天武天皇)が皇運挽回祈願のため、
神鏡を祀った ことが始まりだとか云々...
という伝説のあるところです。
神淵神社
大杉
木のてっぺんに石がのってるそうです・・・(どうやって?)
行ってみたら、かわいらしい女の人が参拝にいらしていたので、挨拶をして、すこしお話ししてみました。そうしたら、意気投合というか、これから行くところがあって、気持ちのいいcafeなのでいっしょにどうですか?ということだったので、なんとわたしも物好に、ついていってしまいました~^^(笑)
そうしたら、連れていかれたところはなんと〝 Cafe HIZUKI 〟
あら~、、ご縁なのね~~!!(笑)
Cafe HIZUKIで、たくさんリリースできたようです。
ずっととって欲しかったものが落ちました!イエイ^^vラッキー☆
ずっと疎外感を抱えていましたが、もう疎外しなくてもいいとわかりました☆
やった~☆彡
うれしたのし。
なんだかオマケも見えてきた*^^*
うわ~い\(^O^)/
なんだかこんなかんじだ~☆彡
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◆天武と伊勢神宮
http://ultra3040.exblog.jp/4049355/
2005-10-16T13:40:00+09:00
2008-01-30T18:02:44+09:00
2006-01-19T13:42:58+09:00
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ルーツ
天武となったが「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。
蓋蘇文(大海人・天武)は平壌でのクーデターの後、大莫離支を自称した。の「大莫離支」という高句麗の称号は、新羅では「王」に匹敵する「麻立干」の称号に酷似し、西アジアの支配者のタイトルである。新羅は伝統的に西アジア人が支配した国で、建国神話や伝承に鶏や卵生神話があるなど、古代ペルシャ的なものがあることは何度も述べた。
蓋蘇文はその後、天武となったが「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。その伊勢神宮の神主が730年に著した『往代希有記』には仁武天皇と表記されているというから、「天武」は死後に送られた諡号であり、生存中は仁武というのが称号だった。確かに青龍に自らを任じ、高句麗とともに個人的にも木徳だった天武は、「仁」の文字がふさわしい。『書記』は、意図的に天武を「雄抜神武」と形容しているというのは、多くの人が指摘する通りである。
国家規模の伊勢神宮奉祭が実質的に始まったのは、天武朝の時代である。天武は仏教立国という聖徳太子の制策を継続発展させるなど、新羅をモデルとする律令国家の確立に向けた制策を次々と打ち出した。
こうして新羅は日本と改名した倭国の政治的なモデルとなった。しかし新羅と日本の関係は、それだけではない。天武朝になってから遣唐使は完全に停止する反面、新羅との間には公式の使節のやりとりがあった。天武の白鳳時代は統一新羅文化を抜きには考えられない。
『古代天皇家と日本の正史』中丸薫著]]>
「大海人と蓋蘇文は同一人物」の証明
http://ultra3040.exblog.jp/3629483/
2005-10-15T23:44:00+09:00
2008-01-30T18:02:44+09:00
2005-10-16T06:45:03+09:00
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ルーツ
大海人と蓋蘇文には多くの共通点がある。まず身体的な特徴が完全に一致する。
そして政治的には終生、反唐に徹していた。思想的に反儒教的で、道教に傾倒していた点も完全に一致する。
蓋蘇文は高句麗王のを惨殺したり、唐の太宗の使者に対し傲慢だったとあるから、権威を無視する特徴は歴然である。大海人も国王の権威など眼中になかった。天智が倭王として即位した宴の最中に、大海人が長槍を持ち出して、床を突き抜いたために大騒ぎになったという話も残っている。
さらに大海人は、山背、古人、斉明、天智らの倭王の死に直接関わっている。大海人は「能天文遁甲」とあるが、天文は占術、そして遁甲は古代の戦争必須の忍術で、隠れたり人に気づかれずに移動するテクニックだから、斉明が毒殺未遂の後遺症で伏せていた朝倉宮に忍術のように忍び込み、とどめを刺すことができたのである。
「壬申の乱」では、すでに即位した倭王・大友(弘文天皇)に対して公然と反旗を翻し、新羅軍や倭国に来ていた高句麗人を軍事力とするクーデターで、近江朝を崩壊させた。その際、自ら式(ちょく)をとって戦運を占ったと『書記』にあるから、大海人には戦術の知識があった。これらの戦術や遁甲術(忍術)は道教の範疇だから、道教の最高位にある真人の諡号にふさわしいといえよう。
そして最も注目すべきは、けっして両者が揃って出現しない点で、倭、三国、唐の文献上、どこを探しても、同時に登場することない。蓋蘇文が確実に高句麗もしくは唐にいた時は、大海人は倭国におらず、逆に大海人が確実に倭国にいた時は、蓋蘇文が高句麗にいたと言う記録はない。『書記』によれば天智即位以前、大海人が確実に倭国にいたのは、653、661、664年である。
642年、蓋蘇文は平壌でクーデターを起こした。
643年には、翹岐らが、「高句麗の客」に伴われて倭国に亡命し、山背が殺されたが、この年、蓋蘇文は高句麗にいない。
644年正月、蓋蘇文は新羅にあって、2城を陥落させた。その後、644年のある時点で、蓋蘇文は今度は蘇我一族を滅ぼすために来倭した。
645年には高句麗の宝蔵王が唐に謝罪の使者を送るが、返礼として高句麗に来た唐国の使者に蓋蘇文は傲慢だったとあるから、蓋蘇文は高句麗にいた。
647年、使者が傲慢に対応されたことに腹を立てた太宗は、2度目の高句麗討伐を行う。その結果、12月に莫離支・高任武は謝罪のために唐の首都に姿を現す。しかし太宗は謝罪を聞かず、よく648年正月から、3万の将兵を戦艦に乗せて鴨緑江から攻撃した。しかし、翌649年、太宗が死んで、唐の対高句麗戦は一時中断する。この戦いに蓋蘇文は姿を現さない。その間、蓋蘇文は唐を挟撃するため、中央アジア諸国を外交的に回っていたらしい。
653年、初めて「大海人」が「皇弟」として『書記』に登場する。
蓋蘇文は647年末に長安に姿を現して以来661年まで『三国史記』には登場しない。662年正月には、蓋蘇文が確実に高句麗にいたことは明らかだ。その証明は『高句麗本記』に、蓋蘇文が唐と平壌郊外の?水という場所で戦い、勝利したとあり、韓国や北朝鮮には、この戦いで奮戦している蓋蘇文の姿が描かれた絵も少なくない。実はこの時、倭人が唐軍の捕虜になっている。
なぜ高句麗の首都の攻防戦に倭人が出てくるのか?それは前年に「大海人」が中大兄らと征西して半島に向かい、旧百済で倭人と高句麗人の混成軍を指揮して唐軍と戦っていたからである。事実、倭国の半島出兵の目的は「高句麗を救うため」、と『書記』にはっきり書かれている。
要するに、高句麗の英雄・蓋蘇文と倭国の大海人は『書記』の上では一人二役を演じていることになり、これはあたかもスパーマンとクラーク・ケント、あるいはジキル博士とハイド氏、あるいは怪傑ゾロとドン・ディエゴのような関係になる。そして『書記』編纂者は、この事実関係を表向きは隠しつつも、実はもろもろのヒントで真実を暗示しているのである。
古代天皇家と日本正史―現人神と万世一系の超秘密 より]]>
忍熊王
http://ultra3040.exblog.jp/3627207/
2005-10-15T21:27:06+09:00
2008-01-30T18:02:44+09:00
2005-10-15T21:27:05+09:00
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ルーツ
下記において、なんとなく日本武尊とかぶっていると思った。
※忍熊王は福井の剣神社にて遭遇
→忍熊王(都留支日古命?)
草と草薙剣より「両面宿儺」から安吾の仮説の項より抜粋
つまり日本武尊は熊襲兄弟を殺した。
その殺し方は女に変装して安心させておいて刺し殺した。
熊襲タケルは私の名のタケルをとって日本タケルとよびなさいと自分の名を彼(日本武尊)に伝えている。
ところが武振熊は忍熊王をだまして武器をすてさせて殺した。
〔猪(伊吹山の白猪)と素手で戦って、伊吹山で死ぬ=日本武尊〕
そして両面スクナと忍熊王とはともに武振熊によって殺されている
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
■ 奈良市押熊町(おしくまちょう) 八幡神社 その2
神功皇后は、京都の宇治に潜む忍熊皇子を、家臣の武内宿禰(たけのうちすくね)と、
和邇(わに)の臣の祖先
〔★〕武振熊(たけふるくま)に、忍熊皇子を討つよう命じます。
家臣の武内宿禰は、知恵を絞り、ズルをしまして~ 武器を隠し持ってながら、弓の弦を切り、武器を捨てたふりをして~ 忍熊皇子と和睦を進めます。
忍熊皇子は、これにすっかり騙されちゃいまして・・・近江の逢坂(おうさか)で追いつかれ、瀬田の渡りに沈んで亡くなったそうです。
で、忍熊皇子の部下たちは、近江の狭狭浪(ささなみ)の栗林(くるす)で切られと言われています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて
敦賀はなんと古事記の仲哀天皇の条に角鹿(ツヌガ)として登場している。
仲哀天皇の皇子、品陀和気(ほむだわけ)
が異母兄を 沙沙那美(ささなみ)(琵琶湖)に
追い詰めて滅ぼした後、禊(みそぎ)のために敦賀を訪れた時に、
地元の神、伊奢沙別命、が夢に現れて、
「吾が名を御子の御名に易(か)えまく欲(ほ)し」
と言い、御子がそれに応じたと言う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
両面宿儺は凶賊か
〔★武振熊が両面宿儺を退治する。〕
『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・タケフルクマが飛騨国の怪人・宿儺を退治した話を伝える。
「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」
原文ではわずか八四文字、この話は『日本書紀』にのみあって『古事記』にはない。タケフルクマは仲哀記に「難波根子建振熊命」、神功紀に「和珥臣の祖武振熊」とあり、神功・応神と争う忍熊王を攻めた将軍と伝えられる。タケフルクマの事績として伝えられているのは、忍熊王追討と宿儺退治の二つのみである。
ただし、『古事記』では忍熊王を近江で入水に追い込んだのはタケフルクマその人とされているが、『日本書紀』ではその役を武内宿禰が果たしたことになっている。
いわば、『日本書紀』におけるタケフルクマは、忍熊王追討で武内宿禰に譲った分の出番を、宿儺退治で取り戻した形になっているのである。
※〔 〕はわたしの付け足し。
別に 安吾探偵の方法 ですこぶる面白みがあると思った。
じっさい、ひとり二役をやってのけて実際その名を歴史にとどめている人物が姿を現し始めている。
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劔神社(剣神社)
http://ultra3040.exblog.jp/3626174/
2005-10-15T16:54:00+09:00
2009-07-07T23:54:31+09:00
2005-10-15T16:52:32+09:00
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神社放浪記
●御祭神
素盞嗚大神
氣比大神
忍熊王(都留支日古命?)
都留支日古命(スサノオの子)
忍熊王は仲哀天皇の皇子であり、都を離れて越の国に遠征され賊徒を征討。悪戦苦闘の際に、霊夢によって伊部臣にあい、神剣を得て賊徒を平定。この神剣をもって素戔嗚尊の御霊代(都留伎日古命)としていつき祀り、忍熊王は神恩感謝の為に織田の地に社をいとなみ「劔大明神」としてまつられた。
北陸縦断駆け抜け詣でより
忍熊王は、素盞嗚大神からもらった剣で賊を平定。その剣を奉納して祀ったのが「劔神社」のはじまりとしている。
→ 劔神社由緒略記 クリックすると拡大します。
注!)ちょっと読みにくいです・・・
ここでも道鏡(弓削道鏡)の文字が見られました。
殊に所蔵する国宝の神鐘は第四十九代光仁天皇が白壁王と申されていた頃、弓削道鏡の野望を砕くために当社に大願が掛けられ、成就の御礼として御奉納戴いたといわれている
どうも、宇佐八幡託事件がからんでいるようすです。 越前国ニの宮 劔神社 由緒書
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ナゾの日神
http://ultra3040.exblog.jp/3607012/
2005-10-11T20:59:00+09:00
2009-12-06T16:45:21+09:00
2005-10-11T20:58:01+09:00
ultra3040
ルーツ
古代史研究家によると、同じく新羅から渡来してきた王子「天之日矛」と同一人物であるとも指摘されている。
伽耶は新羅に征服された経緯があることから、天之日矛は日本に渡来してきた新羅系伽耶人の象徴的な存在ではないかといわれている。
また、天之日矛には別名が多く、越前の気比神宮の主祭神「イササワケ命」のほか、近江の鏡神社の主祭神「天目一箇命」、御上神社の主祭神「天御影命」とも同一人物とされる。
しかも、籠神社の伝承によると、この天御影命は天火明の別名であるという.....
月間ムー1月No.278より(以上抜粋)
気比神宮(気多大社、宇賀之御霊etc...)
カ行の音は、古代食物を意味した。
豊受大神も、食物に関わる
ということは、気比神宮は、もともとは豊受大神を祀っていたということ!?
また、熊野で、ひんぱんに登場するスサノオの別名「家都美御子」や、「神祖熊野大神櫛御気野尊」(スサノオの諡号)の「ミケ」も御食で、食物を司っているということ??
応神天皇が「伊奢沙別命」と名前を交換している
「吾が名を御子の御名に易えまく欲し」
①名前を交換しているということは、スサノオが、御食神(豊受、国常立)と交換したのか?
ここで、男が女なりすまして、だまし討ちの神話が成り立つような気がする。(ヤマトタケルと熊襲タケル?)
②国常立大神が大元神とカモフラージュしたことや、豊受大神を食物を司る神として曖昧にしたこととリンクしているような気がする。宇佐神宮と大元神
宇佐八幡事件などが、密接に関わっているのかもしれない。
道鏡と宇佐神宮
というわけで、まとめてみると、
★応神天皇は角鹿の笥飯大神と名前を交換し、大神を去来沙別(いざさわけ)の神とし、応神は誉田別(ほむだわけ)尊としたとある。すると、応神の元の名前は去来沙別であり、天日槍ということになる。即ち、新羅・加羅系の人であったということになるのである。
★気比神功の祭神である伊奢沙別命は、新羅の王子天日槍であり、都怒我阿羅斯等でもある
三井寺>連載>新羅神社考>福井県の新羅神社(1)より抜粋
わたしも頭の中ごちゃごちゃだったが、こう記事にしてみるとなんとなくわかったような気がする・・・き、き、気がするだけ・・・?
その他参考
*御井神の系譜
*Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて
そういえば、角鹿神社(気比神宮)で
「替え玉を入れておいた」
と言っていた。。。たぶん
は?替え玉!?^^;
越前は、
ナゾの日神と〝剣〟を追ってきたのに(逆ストーカー(?))
なんとなく女神、〝水神、国常立〟ばかりであったという感想だ。
*大瀧神社
*岡太神社
(今立)もう少し北の九頭龍川の方面]]>
気比神宮
http://ultra3040.exblog.jp/3606140/
2005-10-11T17:21:48+09:00
2009-07-07T23:54:31+09:00
2005-10-11T17:20:39+09:00
ultra3040
神社放浪記
伊奢沙別命(いざさわけのみこと)
千有余年、天筒の嶺に霊跡を垂れ境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承される伊奢沙別命は笥飯大神(けひのおほかみ)、又の名を御食津大神(みけつおほかみ)と称へ奉り食物を司り給う神で、上古より北陸道総鎮守と仰がれ、海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に御神徳、霊験著しく鎮座されている。また、ケは食物を意味し、ヒは霊妙(不可思議な働き)を意味するとも伝えられる。また、弘法大師が立宗された真言宗(密教)では、高野山真言宗の四大守護神(四社明神)のひとつとして祀られ、伝教大師が立宗された比叡山天台宗においても山中に氣比神社を建て守護神として祀られている。 気比神宮ホームページより
▼右が天筒山、左が伊奢沙別命が降臨したといわれる土公
亀の口から水が流れています。気比の長命水
ここでもいのちの水と書かれてありました。
無病息災と延命長寿の御利益だそうです。
◇ 御祭神 ◇
伊奢沙別命
仲哀天皇
神功皇后
日本武尊
譽田別命
玉妃命
武内宿禰命]]>
生きる力
http://ultra3040.exblog.jp/3591245/
2005-10-08T19:24:00+09:00
2010-08-21T14:41:38+09:00
2005-10-08T19:23:38+09:00
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めっせーじ
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秋桜
http://ultra3040.exblog.jp/3589324/
2005-10-08T07:17:00+09:00
2010-08-21T14:43:48+09:00
2005-10-08T07:16:45+09:00
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めっせーじ
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照山を見てをおもったこと
http://ultra3040.exblog.jp/3524784/
2005-09-25T19:51:00+09:00
2008-01-30T18:07:10+09:00
2005-09-25T19:50:28+09:00
ultra3040
turugi
なんだか、いまは悲しみも、よろこびも通り越して、何もない地点にいたりする自分を、なんで、これを選んでいるんだろうといったような気持ちになって。。。
悲しみや、苦しみや、闇の中に入っていった歴史があって、照山はなんだか、それを具体的に目に見える形にして見せてくれていたけど、なんで、このような現実を選んで今ここにいるのだろうかと、思って。
何もなくなってしまった。
何もない。
でも、常に欠乏症に陥っていた思考が、ようやく、何もなくても、実は、すでに空間に満ちているということ、すべて有るということ。これを理解するために、いままでの道のりがあったのかなということ。もともと、あった〝熱田〟のが本来で(笑)
有るということ、
在るということが、
もともとありてあるものであったということ。
それは、どんなに存在をなくそうと頑張ってみたところで、
在るということは、変えようのない事実であったということ。
ただ、無いということを思い込んでしまっただけなんだということ。
有るということは、変えようのない事実であったこと。
それは単なるギャグであっただけかもしれないこと^^
あ~あったあったあったよ、ここに!
あ~無いと思って探しまくったけど、あったよここに。
なんだよ、こんなとこにあったー!みたいな^^
それは自分自身のことであったー!みたいな#^^#
おなかに赤い炎燃やして、生きるいのちの原動力として、赤く輝く灯火を絶やすずに、生きて活きたいものですね^^]]>
元熱田
http://ultra3040.exblog.jp/3518034/
2005-09-24T17:37:00+09:00
2008-01-30T18:07:22+09:00
2005-09-24T11:37:15+09:00
ultra3040
turugi
聖なる扉に参加してきました。
本来の熱田があった地はもっと東であったこと。
各地転々と、元熱田を探された龍王さんが、たどりついたところが「天地主大神璽」の碑。草薙の剣が奉納されていた場所がこの地であったことを確信されたようです。
剣とは、鶴亀であり、天と地の融合において、蓬莱をよみがえらせよ、という願いを込めて聖なる扉が催されたようです。
←賀茂神社
●おじさんチャネルさんのお話やその他おもったこと
思うとおりにならないことは
生きていて、思いとおりにならいことは、たくさんある。思いとおりにしようと思うよりは、起きてくることを、そのまま受け入れて手ばなす。受け入れて手離す。
悪いことや、もううんざりと感じているなら、もうほかを求めればいいということ。ただそれだけのことなのかな。
照山
変り果てた姿はそのまま自分自身を投影しているようで、途中悲しい気持ちも出てきたけど。
東三河が、元々、本来の熱田であったこと。
われわれ人間が、物質文明に傾いたがために、熱田(草薙の剣)が西の方へ移動してしまったこと。
草薙の剣が、元々、元熱田、東三河に奉納されていたものであったが、紆余曲折を得て、転々としながら西の方へ移動してしまったこと。本来あるべきはずのものが、失われなおかつ忘れ去られてしまっていること。
剣は、斬るもの、分離するものとの認識があるが、ここでは、天と地をつなぐもの(鶴亀つるぎ)御柱である、関係性をつなぐものという意味合いであるとこと。
天地主大神碑の横に浅間大社のコノハナサクヤヒメさまが祀られてありました。
なぜ照山が悲しいのか。
誰も見向きもしてくれない、誰もが反対の方を向いている。
だから、姿を変えてまで生きようとしている。愚かなことだ。
しかしこの地がしだいに、日の目を浴び、癒しが行われたこと。
第二チャクラが癒されたということは、陰陽の分離から統合が行われたということであり、性の本源であり、創造性の回帰に他なら気がしています。
賀茂神社のエネルギーは、とても暖かかったです。
祭りも盛大で、とても〝熱い〟一日でした。
すばらしい方たちとともに過ごした一日はほんのり暖かく、やわらかなひとときでした。
またお会いできるといいな~♪♪
別れるのがほんの少し心惜しいひと時でした^^]]>
アスタルテ
http://ultra3040.exblog.jp/3500394/
2005-09-20T22:11:00+09:00
2010-08-21T17:52:59+09:00
2005-09-20T22:11:34+09:00
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アスタルテ(Astarte)
アラブ人にとってはアスタルテはアトタルAthtar(明けの明星)であった。アラム語〔北西セム語族に属する語〕では、アスタルテはAttar-Samayinと書かれ、「天界の明けの明星」を意味した。そして女神の中で両性が統一されていた。それは明けの明星ルシフェルやディアナ・ルシフェラの場合と同じであった。
しかも、アスタルテAstarteにもユリが捧げられたとあり、ヒメタタライスズヒメもユリが捧げられるので、およそ同一神
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アシラト、アスタルテ、アシュタロテ]]>
アラハバキ 7
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2005-09-17T21:11:00+09:00
2008-01-30T18:11:16+09:00
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レイライン
長谷川さんのコメントの中にもありましたが、イギリスのマイケル/メアリーラインについて触れています。直感的に、これってアラハバキだと感じたので、一応アラハバキのしめでご紹介しておきますね^^
「神話・奇跡・時代を画する出来事」
どうしてアラハバキと感じるのかよくわかりませんが、アラハバキってやはり対なんでしょうか?
と思っていたらこちらのサイト↓は、そのままアラハバキでした^^;
『聖ミカエルの塔:グラストンベリーのトールの丘』
ばっちりぐーです^^
(こうしてみていると、ミカエルってスサノオですね。)
特に上記のサイトはわたしのアラハバキ論より、
さらに洗練されたメッセージとなっています^^
ちょうど、ミカエルより、サポートが来たようです!
ミカエルも片手に聖なる剣を携える者です。
◎
愛する人たちよ、私の聖なる光の燃え立つ剣は存在の内奥から涌きあがる思いとエネルギーによって創られたものです。それには創造主の神聖な意思の第一光線のダイナミックなエネルギーが注入されています。それは救済の剣であり、希望の剣であり、解放の剣です。あなた方が自分で創った誤てる創造物の足かせを切断し、三次元/四次元の幻想の束縛から解放されるように、この剣をあなた方に贈りましょう。この剣を使うということは、神聖な意思と力の第一光線の大いなる力と顕現されていない原初の生命物質を使って、創造主の神聖な意思に沿って新たに創造するということです。父にして母なる神と共に共同創造するというあなたの神聖な権利を、再び我が物として宣言することです。
大いなる変化の今という時代に私たちがあなたに差し出す聖杯は、愛と光の霊薬に溢れ、父にして母なる神の十二の舌からなる炎がそこに燃え立っています。この炎には新しい創造の宇宙の火が含まれ、新しい黄金の銀河をかたどり、この宇宙を虚空の中へと拡大するのに用いられることになります。わが愛する忠実なるものたちよ、この聖杯をぐっと飲み干してください。あなた方は未来のスターシードです。私たちは愛と保護のオーリックフィールドの中であなた方を囲み包みこんでいます。
私はアーキエンジェル・マイケルです。
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