◆天武と伊勢神宮


天武となったが「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。





 蓋蘇文(大海人・天武)は平壌でのクーデターの後、大莫離支を自称した。の「大莫離支」という高句麗の称号は、新羅では「王」に匹敵する「麻立干」の称号に酷似し、西アジアの支配者のタイトルである。新羅は伝統的に西アジア人が支配した国で、建国神話や伝承に鶏や卵生神話があるなど、古代ペルシャ的なものがあることは何度も述べた。
 蓋蘇文はその後、天武となったが「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。その伊勢神宮の神主が730年に著した『往代希有記』には仁武天皇と表記されているというから、「天武」は死後に送られた諡号であり、生存中は仁武というのが称号だった。確かに青龍に自らを任じ、高句麗とともに個人的にも木徳だった天武は、「仁」の文字がふさわしい。『書記』は、意図的に天武を「雄抜神武」と形容しているというのは、多くの人が指摘する通りである。
 国家規模の伊勢神宮奉祭が実質的に始まったのは、天武朝の時代である。天武は仏教立国という聖徳太子の制策を継続発展させるなど、新羅をモデルとする律令国家の確立に向けた制策を次々と打ち出した。
 こうして新羅は日本と改名した倭国の政治的なモデルとなった。しかし新羅と日本の関係は、それだけではない。天武朝になってから遣唐使は完全に停止する反面、新羅との間には公式の使節のやりとりがあった。天武の白鳳時代は統一新羅文化を抜きには考えられない。

                       『古代天皇家と日本の正史』中丸薫著
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by ultra3040 | 2005-10-16 13:40 | ルーツ
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