古事記によると、ツヌガアラシトは角がある人という意味で、朝鮮半島の伽耶から渡来してきた王子であるという。
古代史研究家によると、同じく新羅から渡来してきた王子「天之日矛」と同一人物であるとも指摘されている。 伽耶は新羅に征服された経緯があることから、天之日矛は日本に渡来してきた新羅系伽耶人の象徴的な存在ではないかといわれている。 また、天之日矛には別名が多く、越前の気比神宮の主祭神「イササワケ命」のほか、近江の鏡神社の主祭神「天目一箇命」、御上神社の主祭神「天御影命」とも同一人物とされる。 しかも、籠神社の伝承によると、この天御影命は天火明の別名であるという..... 月間ムー1月No.278より(以上抜粋) 気比神宮(気多大社、宇賀之御霊etc...) カ行の音は、古代食物を意味した。 豊受大神も、食物に関わる ということは、気比神宮は、もともとは豊受大神を祀っていたということ!? また、熊野で、ひんぱんに登場するスサノオの別名「家都美御子」や、「神祖熊野大神櫛御気野尊」(スサノオの諡号)の「ミケ」も御食で、食物を司っているということ?? 応神天皇が「伊奢沙別命」と名前を交換している 「吾が名を御子の御名に易えまく欲し」 ①名前を交換しているということは、スサノオが、御食神(豊受、国常立)と交換したのか? ここで、男が女なりすまして、だまし討ちの神話が成り立つような気がする。(ヤマトタケルと熊襲タケル?) ②国常立大神が大元神とカモフラージュしたことや、豊受大神を食物を司る神として曖昧にしたこととリンクしているような気がする。宇佐神宮と大元神 宇佐八幡事件などが、密接に関わっているのかもしれない。 道鏡と宇佐神宮 というわけで、まとめてみると、 ★応神天皇は角鹿の笥飯大神と名前を交換し、大神を去来沙別(いざさわけ)の神とし、応神は誉田別(ほむだわけ)尊としたとある。すると、応神の元の名前は去来沙別であり、天日槍ということになる。即ち、新羅・加羅系の人であったということになるのである。 わたしも頭の中ごちゃごちゃだったが、こう記事にしてみるとなんとなくわかったような気がする・・・き、き、気がするだけ・・・? その他参考 *御井神の系譜 *Vol.1:美浜、敦賀を訪ねて そういえば、角鹿神社(気比神宮)で 「替え玉を入れておいた」 と言っていた。。。たぶん は?替え玉!?^^; 越前は、 ナゾの日神と〝剣〟を追ってきたのに(逆ストーカー(?)) なんとなく女神、〝水神、国常立〟ばかりであったという感想だ。 *大瀧神社 *岡太神社 (今立)もう少し北の九頭龍川の方面
by ultra3040
| 2005-10-11 20:59
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