伊奈波神社


伊奈波神社にも行ってきました。



ひんやりと清んでいて、
光の柱も感じました。。


金山神社・愛宕神社もありました。
  →境内案内

        
~~~陸奥の金華山のつながり~~~

 垂仁天皇の子に五十瓊敷命(兄)と大足彦尊(弟、のちの景行天皇)がいたが、父はこの二人に「何を望むか」と問うた。兄は「弓矢が欲しい」といい、弟は「皇位が欲しい」といった。兄は後、因幡守に任命される。

 天皇は皇威発揚に必要な陸奥の金石を得る勅を出し、日本武尊(景行天皇第二子)による陸奥遠征が開始される。日本武尊による陸奥の金石得るための遠征が失敗に終わると、次に景行天皇は五十瓊敷命にその獲得を命じた。彼は亡母、日葉酢媛命の夢告によって金石を発見し、都へ運搬を開始する。しかし彼は讒言により朝敵の汚名をきせられ都の討手と対峙する。陸奥の金石は一夜のうちに三六丈の山となり、五十瓊敷命は嫡子らとその山に入り亡くなった。
 
 ところがある夜、天皇は夢中に五十瓊敷命の無実の訴えを聞き、彼が因幡大菩薩に化して金山に住し、四方の群生を済度しているこことを知る。天皇は大いに驚き、竹内宿禰を勅使として派遣し、厚見県を御敷地とし、金山の麓に社壇を構え、因幡大菩薩と日葉酢媛の霊を当山の峯に祀った。

 また、用明天皇の時代には、百済僧難行法師が下向し一千日の勤業を行った。
 後、壬申の乱においてこの神は、武略の神として南宮法性大菩薩(不破南宮大社)を助けたため、天武天皇はこれに謝し厚見郡をこの社のご神領とした。(以上岐阜市史より)

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by ultra3040 | 2005-04-09 22:16 | 神社放浪記
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