日本の誕生

天武天皇こと大海人は、はっきりとこの不敗の神 ミトラ=「ミロク」を意識して、壬申の乱を戦ったようである。
「伊勢」という地名も「磯」が転じたものだと考えられており、鈴鹿の山中で天照を崇拝するという構図は成立しないようだ。「天照」というよりは「海照」だったと考えるべきだろう。又、天照が太陽神ならば別に海にこだわる必要は無いのだろうが、大海人が海人族の影響を受けていたと結果と言えそうだ。海人族は伊勢の神を海から産出する海産物の恩恵にあやかり「御食つ神」としており、この考え方は後の宮廷に引き継がれている。
 このとき水平線から出現する太陽を大海人は勝利の兆しと見たか、この後、太陽を背に近江に向けて攻めかけることになる。太陽とともに東側から攻めるという構図は神武東征と同じである。
 伊勢の神が太陽神になったのはこの時なのかもしれない。

大海人と天照より


日を背負いてこそ撃ちめ”という幻想 こそ、大海人自ら太陽を背負い降臨する図を頭に描いていたに違いない。「大君は神にしませば」と謳われた大海人こと天武は、おそらく自ら北方騎馬民族特有の太陽降臨神話始祖伝承、つまりこの国の王始祖としてこの国に君臨した、と言っているに相違ない。
日本人および日本の誕生
  (両面宿儺伝説をめぐる奇想)


 伊勢神宮には、天武・大海人が祭祀制度を確立した、皇祖神を祭る最初の公的な神宮として知られている。
 天武は、絶対王政と律令制度によって軍事的、政治的な独立国家としての日本を急速に確立しょうとしただけではない。西アジア的な太陽信仰に基づく、文化的にも独立した日本という国家の確立を急いだ。


『古代天皇家と日本正史―現人神と万世一系の超秘密』より

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by ultra3040 | 2005-03-14 03:05 | ルーツ
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