出雲の最高神であった熊野大神

鳥越憲三郎氏の『出雲神話の成立』によると、

         ★出雲族の最高神は、熊野大神であったと述べている

(※熊野神社のある熊野山は標高六一〇メートル、別名天狗山と称せられている)

 大和朝廷が、古事記や日本書紀という国家の歴史を作るために、国ゆずりという壮大なドラマを挿入して、天皇の権威を高め、同時に征服の妥当性を主張するためには出雲が小さな地方神では困るのである。そこで、出雲の民話伝承を記紀の中に多くとり入れ、同時に、出雲神を手厚く扱う必要が生じてきた。と同時に古事記や日本書紀が出雲における熊野大神を無視はじめた。大和朝廷の意向を反映して、出雲の国造たちは、出雲が最高神熊野大神から次第に出雲の祖神大国主命に乗りかえてゆく。果たして、熊野の大神はゆき場所を失った。


※出雲の国造が大国主命をまつって出雲大社をたてたのは、古くみても大化の改新、壬申の乱以後ではないだろうか。鳥越憲三郎は八世紀の初めだとしている。

※出雲は古代から、砂鉄の生産で知られ、たたらで知られている。
その出雲の最高神、熊野大神が火鑚り式でわかるように火の神または、火をつかさどる神であるならば、たたらと深い関係があるはずである。


出雲と熊野の火鑚りの神事

神倉神社のお灯祭りは四九日の聖さまの断食からはじまっているのであるが、その神事の中心は火を鑚ることにある。松明をつけた上り子がかけ下りるお灯祭りクライマックスは、聖火を家に持ち帰るための行事にしかすぎない。島根八束郡八雲村の熊野大社は、昔は、出雲大社とならび称せられる大社であったといわれている。ここの神事は火切臼と火切杵(キネ)をもって、火を鑚り神に供える。古くは、平安時代の初期まで、この熊野神社から授けられた火切臼と火切杵で火をおこし、神に供えるのが出雲国造の相続の儀式であった。このことを、火継(ヒツギ)の式と称した。出雲国造は、熊野神社(出雲)より賜わった発火器でおこした火で一生食し、相続の火継の式も熊野神社でおこなうのを、古例としたのである。

以上 『熊野の謎と伝説 日本のマジカル・ゾーンを歩く』
沢村経夫/著 より抜粋

 

       ★熊野は黄泉の国であり、木の国であり、海の国である。
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by ultra3040 | 2005-02-01 13:49 | 謎解き古代史
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